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主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。私は裸ですから。」(創世記3.9-10)
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by kokakusouhachi
| 2017-12-14 01:24
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「規制委の判断は不合理」ということである。
私は、もちろん喜んでいる。 (後記) コメントくださった「しんきち」さんが指摘されたように「仮処分」である。付け加えるなら、こうしたことで喜ばなければならないほど、日本の裁判所は、行政に対して弱い。アメリカの裁判所と日本の裁判所を比べて溜息をつくことがある。アメリカの民主主義もトランプ大統領のような人を生み出してしまうのだから、問題だらけであるにしても、日本のように「長い物には巻かれろ」ではないところがあるのが感じられ、うらやましい。そして、原告の方たちのご労苦に感謝したい。 ついでに書いておくと、もう30年ぐらい前のことだったが、長崎にいた時、弁護士さんたちの宿泊に牧師館を提供したことがあった。その時に、弁護士さんたちから、どういう裁判官が出世し、どういう裁判官が出世しないかを聞いた。残念ながら、裁判所は、ますます行政に媚びるようになっていると思われるが、裁判の労苦を惜しまない市民や弁護士がいて、日本の裁判の劣化を少しは食い止めているのだと思う。「政治の劣化」が言われるけれど、たぶん「裁判の劣化」も起きている。ただ、「行政府」だけが劣化しているのではなく、「立法府」も劣化しているので、三権とも「劣化している」現状があるのではなかろうか。 振り返ってみれば、わたしもいくつかの裁判の原告団の一員になったことがあるが、ほとんど勝ったことがない。そういう裁判ばかりに関わってきた。 (追記) 広島高裁の裁判長は「野々上友之」さん。最近、私は、裁判長の名前を覚えるようにしている。原告団だけでなく、裁判長も勇気があった。こういう勇気ある人たちが次々に出て来ることが大事なのである。 人気ブログランキング #
by kokakusouhachi
| 2017-12-13 22:30
| 随筆
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第二小学校の校庭に落ちたのであるが、子どもたちはそこにいた。幸い、子どもたちにけがはなかったということであるが、7.7Kgである。
沖縄の人たちが怒るのはもっともである。 この小学校の上を米軍機が飛んでいるポスターを見たことがある。 #
by kokakusouhachi
| 2017-12-13 22:08
| 随筆
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by kokakusouhachi
| 2017-12-13 12:04
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ドイツでは、戦後、「過去の克服」が言われ、日本では「戦争責任」のことが言われた。
私は、ドイツのこの「過去の克服」という言葉をどれだけ前に聞いたのだろうか。それは耳慣れない言い方だった。そして、違和感を感じたのだった。 しかし、今や、日本にとっても「過去の克服」が大事だったのだということに思い至らされてる。これは、もちろん、「戦後レジームからの脱却」とか「日本を取り戻す」こととは全く違うことである。 「過去の克服」は、新しい歩みを始めることであって、過去の生き方を肯定することではない。我々日本人は、そのことに全く失敗したのではなかろうか。 それは、戦後、新しい日本をどのように築くかという問題だったのであるが、それはただ日本国憲法を守るというだけではすまない問題が根本にあったのである。それは、日本人の生き方の問題である。その中身のところがおろそかになっていて、「過去の克服」ができなかったことに最大・最深の問題があったし、いまなおあり続けるのではないかと思う。 実は、そのことを福音宣教で、わたしは目指したということはあるのである。福音宣教はなにも、日本が心から「過去を克服」するのを第一の目的とするものではない。福音宣教は「御名をあがめさせたまえ」という祈りを第一にすることによってなされる。しかし、日本人が真に、キリストによって歩むことを始めなければ、「過去の克服」はできないだろう、というのが私の昔からの確信だったのである。そして、それは最近の日本のありさまを見れば、ますますそう強く思うようになっている。 森有正は、そのことを何とかしようと試みた代表的な日本人の一人だろう。 今、私は、日本人が「過去を克服」しようとすれば、明治維新までさかのぼって考えてみる必要もあると思っている。かつて戦争に反対した柏木義円も、ある時から明治維新までさかのぼって天皇制のことを研究し始めた形跡がある。 人気ブログランキング にほんブログ村 #
by kokakusouhachi
| 2017-12-13 09:18
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