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愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だが、そのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリントの信徒への手紙一13章8~13節)
今日のこの説教をもって、38年間の牧師としての最後の説教をすることになると思います。この時、私の心に浮かんでくるのは、牧師になるために、ベテスダホームという障がい者入所施設を後にして、運送屋さんのトラックの助手席に乗って、東京にあります日本聖書神学校の寮に向けて出発した時のことでした。トラックが出発したとき、わたしは「しまった。間違ったかもしれない。」と思ったのです。何を間違ったかといいますと、その働いていた施設をやめて、牧師になろうとしていることが、間違いではなかったか、ということです。 わたしは、27歳の時、ベテスダホームで働き始め、5年間働きました。その間に、労働組合の委員長になり、労働組合の委員長だった時、29歳の時、千葉県の東金市にあります日本基督教団の東金教会で受洗しました。洗礼を受けたあと、わたしにとって問題となってきましたのは、このまま、ベテスダホームで働き続けるか、他の道を探すか、ということでした。わたしは、もともと、福祉で働こうというはっきりした気持ちをもって、福祉施設で働こうとして、ベテスダホームに入ったわけではありませんでした。いわば、他に行くところがなかったから、そこに行くことになったのです。 その時の気持ちとしては、仏教の言葉で言えば「一隅を照らす」ことをしようと思っていました。その当時、私は教会に行っていませんでしたが、既にキリストを信じていたと思います。ベテスダホームは、社会福祉法人愛の友協会の運営している施設でした。わたしは大学4年生ぐらいの時には、アッシジの聖フランチェスコを知るようになっていて、大学時代、あるカトリックの方から「平和のための祈り」を印刷したカードをいただいており、その後、5年間ほぼ毎日、この「平和のための祈り」を祈っていました。 わたしは、さきほど「一隅を照らす」と言いましたが、それは小さな場所で、隣人愛を実践して生きようという思いだったのです。ところが、実際に、行ってみますと、思いがけないものが待っていて、労働組合の委員長にならされ、人を傷つけ、人に傷つけられました。その中で、イエスを神の子と信じて、洗礼を受けました。 洗礼を受けてから、2年間と少し、私はベテスダホームで働き続けました。しかし、わたしは祈り始めていました。わたしが、どこに向かって歩んで行けばよいか、神様、示してください、と。 そうした時、ある決定的事件が起きまして、わたしは、もうここにはいられない、と思いました。それで、牧師になる道がさし示されているように思い、夜学の日本聖書神学校の試験を受け、合格通知をもらいました。 それで、32歳のとき、さきほど言いましたように、小型のトラックに持ち物を載せ、千葉にあります、その施設を後にすることになったのです。 車が出発したその瞬間「しまった。間違ったかもしれない。」と思ったのには、理由がありました。その頃、私は、ベテスダホームにいるのが、嫌で、嫌で仕方がなくなっていたのです。ある事件がありましてから、多くの人がわたしを頼るようになってしまっていたのですが、それが重荷で仕方がなかったのです。「みんな、無責任な」と思うことがありました。そういう嫌で、嫌で仕方がなくなっていたところがありましたから、後で、わたしは自分に問うことになったのです。「お前は、結局は逃げ出したのではないか。ベテスダホームで生活している人たち、働いている人たちを見捨てたのではないか。」 つまるところ、わたしは隣人愛を実行するつもりで施設に入ったけれど、それに挫折したのではないか。 それから、こんなことも考えました。「いわば隣人愛に挫折したような私が牧師になっていいのか。」 心の中で、強い葛藤が起きるようになりました。わたしは、夜、神学校で学んでいる間、昼は新教出版社というところで働くようになっていました。午後5時に退社して、電車を乗り継ぎ、高田馬場で降りて、歩いて、神学校のあるところに向かうのですが、その途中、しばしば歩みをとめて考え込むことがありました。陸橋の上で、「今からでも、なんとかやめたベテスダホームに帰るべきはなかろうか。いやいや、実際にそのようなことは不可能だ。」というような自問自答を繰り返しておりました。 その頃、わたしは神学校の授業が終わって、寮の自室に戻ってルターの書いたものを読んでいました。それはベテスダホームにいた時に読み始めていたものです。わたしは、日本基督教団の教会で洗礼を受けましたから、宗教改革を始めた人、マルティン・ルターのものぐらいは読んでおくべきだろうと思って、神学校の授業に荷は関係なしに、ルターのものを寮の自室で読んでおりました。そして読みながら慰めを得ていたのですが、そこで、ルターの『ガラテヤ書大講解』の抄訳を読んでいた時に、決定的な回心を経験しました。ガラテヤ書3章13節に「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。」というところがあります。ここのところについて、ルターは何頁にも及ぶ講解を書いていて、それを読んでいるとき、わたしはこころが自由にされる経験をし、涙が出る経験をしました。 わたしは、「律法」と「律法主義」をはっきり分けて考えています。「律法」は尊いものだと思いますが、「律法主義」には反対です。律法の中で、わたしたちのよく知っているものに、隣人を自分のように愛しなさい」というものがあります。この律法そのものは尊いものです。しかし、この律法が、呪いになるということがあるのです。自分では、愛の行いを実践していると思っている人が、他の人を裁いて、「あなたは隣人愛を実践していない。隣人を自分のように愛すべきだ。」ということがある。「あの人は愛のない人だ」ということがある。そうすると、隣人愛の律法は、呪いとなってしまう。 しかも、裁くということは、自分にも向けられることがあるのです。この方が怖い、と言えるでしょう。他者からは離れることはできても、自分から離れることはできないからです。かつて、わたしは自分に向かって「お前は隣人愛に失敗した。牧師になって何を説教し、何を行なおうというのか。」と厳しい言葉を語っていました。自分で「隣人を自分のように愛しなさい」という律法を用いて、自分を裁いていました。自分で自分を呪っていたのです。ところがルターは、「自分で自分を呪ってはいけない。その呪いをキリストはあなたに代わって受けられたのだから」と教えてくれたのでした。 ですから、マルティン・ルターはわたしの大恩人です。パウロが書き残したことを、わたしにわかりやすく教えてくれる人になったのです。それでルターのものを熱心に読むようになったのですが、1年たち、2年たっ内に、ルターにすこしばかりの疑問が出てきたのです。ルターのものを読んでいる間に、マタイによる福音書にある「山上の説教」が、私から遠ざかり始めたのです。これは神学の専門家たちが、「ルターは義認を確立したが、聖化については弱い。」と言った事柄です。別の言葉で言いますと、「キリスト教倫理」が弱い、ということです。 第二次世界大戦の時、ヒトラーが総統として登場してきた時、改革派の教会は比較的しっかり抵抗の姿勢を示したが、ルター派は弱かったのです。これはたぶん、ルター自身に由来する問題でした。この問題に取り組んだルター派の人たちがいまして、ディートリヒ・ボンへッファーもその一人です、この人の書いたものを、わたしは30年以上、読み続けています。彼は「山上の説教」をあらたに取り上げて、『キリストに従う』謄本を書きました。長く、読み継がれる本だと思います。高石教会の本棚にも一冊あります。 さて、ここまでお話ししたことは、パウロのコリントの信徒への第一の手紙13章全体を思いつつ、お話ししました。「隣人を自分のように愛しなさい」という律法を、律法主義的にではなく、福音的に聞くということはどういうことになるか。律法主義的に「愛のいましめ」を聞くということは、「愛を実践しなければ、呪われる」と受け取ることです。そして、律法主義的に「愛のいましめ」を受けとっていて、しかも、自分がある程度、隣人愛を実践的に行っていると密かに誇っている人は、「あの人には愛がない」と言ったりして、裁くでしょう。しかし、「愛は誇らないもの」なのです。自分の行いをひそかにでも誇っている人は、愛に遠いでしょう。わたしたちに誇るものがあるとしたら、主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものがあるはずもないのです。キリストの十字架にこそ、神の愛とキリストの愛がきわまっているからです。神の私たちに対する愛を知ろうとしたら、十字架につけられたイエス・キリスト以外のところに探しても、無駄です。 それゆえ、愛は不滅です。それは神の愛だからです。キリストの愛だからです。神は生きておられ、キリストも生きておられます。キリストは、ひとたびは死なれたけれど、神の力によって復活され、今、活きておられ、もはや死なれることはありません。それゆえ、「愛は決して滅びない」のです。 わたしたちは、知っています。この地上の世界は、時に、地獄のようになります。今、ウクライナの一部がそうなっているでしょう。しかし、日本でも、沖縄・広島・長崎でもそうしたことが起きました。こういう世界に私たちの救い主は来てくださったのです、ですから、希望を持って、キリストにより、聖霊の導きによって前進したい、と思います。やがて、私たちが今、心の底まで知られているように、そのときには、わたしたちも神にお会いすることがゆるされるでしょう。キリストにお会いすることがゆるされるでしょう。こう書かれています。 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だが、その時には、顔と顔を合わせて見ることになる、わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で、最も大いなるものは、愛である。 (この後、祈りがあるが、私以外の方たちの名前があるので、省略させていただく。) 2022年3月27日の礼拝説教 ![]() にほんブログ村 ![]() 人気ブログランキング
by kokakusouhachi
| 2022-04-07 10:15
| 随筆
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