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江川卓訳で、1971年6月11日に購入したものである。23歳の時、たぶん静岡で。
これを読み直したく思っていたが、なかなかできずにいた。それが、椎名麟三の『邂逅』を読んでいるうちに、どうしてか、しきりにこの小説のことが思い起こされるので、読み直し始めたところである。読み直していて気づいたのは、ここでドストエフスキーは「自由」を真ん中にもってきつつあるということである。 「自由」と言っても、「キリスト者の自由」と「神を信じない者の自由」は違う。『邂逅』では、神を信じる者の自由が主人公安志によって表現され、彼の近くにいる人たちの「自由」がそれぞれに描かれている。 椎名麟三は、ドストエフスキーを信じて、洗礼を受けたが、教会の礼拝に出ていても、なかなか求めていた自由は得られなかった。その「自由」は、ドストエフスキーの作品、たぶん『悪霊』を読んでいたとき、小説を貫いて椎名麟三の心をとらえたのだった。 しかし、洗礼を受けても何もかわらなかったが、聖書を読み続けていてルカによる福音書24章で、彼は「復活のキリスト」に「邂逅」したのである。 わたしは『地下室の手記』を読みかえしながら、わたしはこの作品を読んだころから、「自由」について真剣に追求を始めたらしい、ということである。たぶん、『邂逅』を読んでいて、しきりに『地下室の手記』が思い起こされたのは、わたしの記憶がどこかで掘り起こされていたのであろう。私の心の中で。 以上のことを書いてきて、アウグウスティヌスの『自由意志論』を購入したのは、この頃ではないかと思って調べたら、思ったより遅かった。1973年3月24日。わたしは25歳になっていた。 こうして、振り返ると、わたしがどのように歩んできたか、その道が見える気がする。 にほんブログ村 人気ブログランキング
by kokakusouhachi
| 2019-08-28 19:41
| 随筆
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