最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
キリスト・イエス(3643)
教会(3000) 安倍晋三(2024) 森友学園(1566) 加計学園(1390) 共謀罪(159) 日本基督教団(137) 佐藤優(64) 天皇制(42) 辞書(36) ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
それは、1か月に一度、通っている泌尿器科のそばにある田圃である。町中に残っている申し訳程度に残っている小さな田圃であるが、水が張ってあり、青々した稲の葉が一面に広がっている。その道に近いところ、水がよく見えるほとりの上を塩辛トンボが一匹飛んでいるのである。昔なつかしいものを思い出させるような景色。
病院から帰ってみると、教会の玄関近くのコンクリートに油蝉が一匹、腹を見せて落ちていた。もう死んだのだろうと思ったが、もう一度そばを通って、牧師館に帰ろうとそばを通ると、足を動かしているので、まだ死んではいない。しかし、寿命なのだろう。 もう何週間も前のことだが、教会員の小さな男の子が、せみを取っているので、箱の中を見せてもらったら、たくさんいた。近くの浜寺公園でつかまえたという。その子が住んでいるところでは、低いところに蝉はとまっていないのだけれど、ここでは低いところにとまっているという。だから、たくさん蝉たちはつかまっていた。わたしは、「このあたりで蝉をとる子は少ないのかな」と思った。というのは、伽羅橋駅前でないている蝉たちは、確かに低いところでないていると前から思っていたのであるる。というわけで、油断していた蝉たちは、その小学生の男の子にやすやすとつかまえられていたのである。つかまった蝉は、大きな声でないていた。 それから何時間後、昼頃だったか、その子のところから蝉の声がきえないので、目をこらしてみると、一匹もいない。「どうしたの」と聞いたら、逃がしてやったという。この子も、蝉の一生の短さをもう知っているのだろう、と思った。このあたりにはクマゼミが多い。しかし、腹を見せて転がっていた蝉は油蝉だった。 にほんブログ村 人気ブログランキング
by kokakusouhachi
| 2019-08-22 11:48
| 随筆
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||