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日本の右翼、あるいは保守の世界的に特殊な傾向があって、それは、明治維新以来の「天皇制」を多かれ少なかれ肯定している、という点にある。そう書けば、日本人の多くはそうではないか、日本国憲法にも書いてあるし、と返事がかえってくるだろう。象徴天皇制でも天皇制に否定的で、共和制がいい、という日本人はきわめて稀で、そういう人たちは、変人扱いをされるのを覚悟しなければならない。
私は、結局、日本社会で、「保守」であるということは、天皇制を認めることを土台としているということだろう、と思っている。 かつて「左翼」「右翼」と言っていた時、「左翼」とは多少ともマルクス主義に肯定的な人たちを言っていただろうが、ソビエト連邦が崩壊し、また近くの中国のありさまを見ていると、共産主義はかつてのように影響力を持っていないように思われる。おのずと「左翼」と「右翼」という分け方も曖昧になっている。 そして、「保守」「革新」も、その内実が曖昧になってきている。あらゆるものが曖昧さを増してきているのである。 「リベラル」と言っても何を称しているのかもわかりにくくなっている。 その中で、わたしは、主権在民、基本的人権の尊重、平和主義を、大事にしたいと思っている。わたしは、そういう意味のリベラルであり、「象徴天皇制」にも疑問を持っている。その点では、日本国憲法を金科玉条としているわけでもない。あくまでも、わたしにとって大事なのは、キリスト・イエスを信じることと、キリストに従うことである。それを、この日本社会の中で、日本「国民」の一人として、なんとか個人的にも社会的にもまっとうしたいと思っているのである。 にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2019-04-27 11:21
| 随筆
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