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カール・バルトから新しいことを聞いた。その部分を書き写しておく。
それではそういう神の意志とはどういう意志であろうか。われわれはそのことを最も簡単に次のように表現してよいであろう。すなわち、神が造り主として自分の造ったものを「良し」と見たということ、つまり然りと言い給うたということ、事は最後的に決着したということ、これが神の意志である。換言すれば、あらゆる人間とあらゆる造られたものは悪魔から守られているということ、さらに言い換えるならば、そういう神が「否」と言い給うたもののおびやかしと力から、人間とあらゆる造られたものが救われるということ、これが神の意志である。……さて、次のことが神の造ったものに対する神の意志である。それはすなわち、神の造ったものを空しいものから守るということである。これが神の意志である。 これは、KDの邦訳の「創造論2/1」298~299頁にある。ここは、創世記1.31のことが言われているのだろう。 被造物を神が、虚無に抗して保持されているということ。これなくして、被造物は存在し得ない。
by kokakusouhachi
| 2019-04-10 15:50
| 随筆
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