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それで、言葉がなかなかまとまらない。今まで、ある程度前提としてきたことを疑い、再検討するようないささか足下を危うくするようなことを、71歳にもなって始めているので、言葉にならないのも無理はない。
日本において、同調圧力の最大の根源は「日本国民統合の象徴」である「天皇」であろう。これがなければ、ネット右翼がこれほどはびこることもなく、日本会議が安倍政権を方向付けることもなく、言論の自由がこれほど制限されることもなかったろう。これは今の「天皇」個人の責任というのではなく、「天皇制」の問題なのである。 教会でも「天皇制」のことについて語るのは、ほとんどタブーである。30年前より天皇制について教会で語るのは困難になっている気がする。このブログで天皇制のことを書くのでも、まったく圧迫感なしではない。 切支丹迫害の歴史は、まだ終わっていないだろう。明治維新の初め、木戸孝允が顔を出し始めた切支丹を迫害することをすすめたのは世に知られている。この浦上四番崩れという出来事は、明治になってからの切支丹迫害だったが、日本は、その時、開国していたので、世界の世論を気にせずにはいられなかった。それで、切支丹の禁教の「高札」を撤去せざるを得なかったのである。わたしたちがまだ子どもの頃、木戸孝允の名前は、「桂小五郎」の名前で語られていて、こどもたちの中では英雄扱いだった。これは、まだ、戦前の空気が残っていたのだろう。この桂小五郎が、浦上四番崩れを起こした大立者のひとりだったというので、桂小五郎に対するそれまで持っていたイメージはかわってしまった。 のちに、岩倉具視を団長とする使節団が、アメリカやヨーロッパに出かけた時、それまで結ばれていた各国との不平等条約を改正しようと使節団が働きかけた時、問題になったのは「日本には信教の自由がなく、外国から日本にいったクリスチャンが迫害されるおそれがある。信教の自由がない今、条約改正はできない」ということだったようである。これは、よく調べてみなければならないことだが、現在の時点での私の理解である。 大日本帝国憲法でも、条件付きの「信教の自由」しか認められていなかった。それは、日本が天皇制国家になっていたからである。だから、アメリカとの戦争が始まった後は、官憲にとらわれたキリスト者たちが、獄で聞かれたことは、「天皇とキリストとどちらがえらいか」ということだった。踏絵ではないが、このような問いが突き付けられたのである。 さて、敗戦後の話である。いまや、憲法第20条と89条で、「信教の自由」は制限なしに認められている。ところが、実際はそうではないのである。わたしは、教会で、天皇制のことについて、話すことがあるが、それはやはり言いにくいと感じる。このブログで書くのも、やはりプレッシャーを感じる。そのことが、日本社会でいかに「言論の自由」がないかを示している。これは、牧師になってからずっと感じていることである。 それでも、敗戦前と敗戦後では、キリスト者・教会の置かれている立場は、はるかに楽になってはいると思う。 しかし、切支丹の迫害の歴史は、日本国民に語り継がれてきている。遠藤周作の『沈黙』が今なお多くの人々に読まれるのは、本当は「切支丹迫害」が今も過去の事ではないからである。ちなみに、わたしは、殉教を奨励すべきだとは思わないが、『沈黙』の最後で遠藤周作が 示した「解決策」は、わたしには問題があると思われるのである。殉教というものがあることを、福音書のイエス・キリストは否定されていない。ただそれは、求めるものではなく、場合によったら、避けて通れないという時があるだろう、ということである。 多くの日本人の心の底には、切支丹迫害の歴史がいまなお力を発揮していて、人々の目を繰り返し、「沈黙」に向かわせるのである。豊臣秀吉は、「日本は神国である」と言って、切支丹迫害をしたということであるが、戦国時代でも、そういうことがあったのか、と思わされてしまう。徳川幕府の切支丹迫害は、それとしてあったし、明治政府はそれを吟味せずに、受け継ごうとしたのである。 私は、長崎飽之浦教会時代に「天皇の代替わり」を迎えたので、教会の中でもなんどか学習会を開き、説教においても取り上げた。しかし、今回は、ほとんど取り上げていない。これはいくつか理由がある。もっと、はっきり言うべきと思いつつも、言わずにいることもある。一つには、わたしの説教は「講解説教」なので、天皇制の問題を長々と説教の中で取り上げることができない、という事情もある。だから、勉強会・学習会のようなものが必要であろう。しかし、30年前のような元気はないというのも事実である。 問題は、天皇制の問題の大きさ・深刻さというものを、以前より理解してきたというせいがあろう。大きな相手だと思うのである。しかし、大きく見えるからといって、本当に大きいかどうかはまた別問題である。この天皇制は、近代の日本社会を古代の日本社会とつなげる役目を果たしていて、「民主主義」「主権在民」「基本的人権の尊重」という、近代社会の原則を、根底から覆すようなポテンシャルを内に秘めている。「世界に冠たるドイツ」「八紘一宇を目指す大日本帝国」。「一宇」とは宮家のことである。天皇家のことである。世界中の者たちが天皇のもと一つの家族になるという侵略思想である。 こういうことをつれづれに考えてしまう。 日本という国の中で、ものを考えるのは非常に難しいところがあるのではなかろうか。
by kokakusouhachi
| 2019-03-25 11:08
| 随筆
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