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昨夜、大岡昇平の『野火』を手に取り、大岡昇平が教会に通っていたことがわかったが、そして、この小説をもう一度読み通そうと思ったが、途中で渡部良三氏の『小さな抵抗』にまさるものではない、と考え、『小さな抵抗』を本棚から取り出して、一部を読み直した。ここには、本当の戦争がある。この歌集は暗記してもよいぐらいだと思われる。
この渡部良三氏の見ているところから、今の日本をあらためて見るということをしたいと思う。 渡部良三氏に比べたら、家永三郎著の『戦争責任』も軽い、と言わざるを得ないのではなかろうか。 やはり、「天皇の戦争責任」を結局追及しなかったので、今日の日本「国民」は、きわめて軽薄になり、安倍晋三首相のように「真摯」という言葉を軽薄に使うような首相を出現せしめたのではなかろうか。 アメリカの今日の混乱、イギリスの今日の混乱は、たくさん戦争してきて、その戦争責任をちゃんと考えてこなかったつけであるように私には思われる。しかし、この地上に存在した民で、自分たちの国の「責任」を痛切に反省したのは、バビロン捕囚になったユダヤ人たちと、第二次世界大戦の敗戦国ドイツ人ぐらいしか私は知らない。 しかし、バビロン捕囚から帰還をゆるされたユダヤ人の末裔でさえ、自分たちに約束された救い主を十字架にかけて殺すということをしたのであるから、この地上に生じたある特定の国から救いは来るということはなく、私(たち)の信じるところによれば、ただ、人となられて、この地上に来られたイエス・キリストだけが、わたしたち罪びとである人間をその内から新たにする力をお持ちだとしか、今の私には信じられないのである。しかし、こういう絶望的な私たちに、既に救い主が与えられているということは何という慰めであり、救いであることか。 そして、わたしたち日本「国民」は、未だに一人の人間を「神」として、崇拝しているので、ある意味で、この地上で、もっとも神に逆らっている民かもしれないのである。「かもしれない」と私は書いている。こんなことを断定できる人間など一人もいないということを私は知っている。 しかし、憲法で「天皇」という称号を用いている国は、日本ぐらいではなかろうか。これは著しく古代的ではなかろうか。まさに非神話化は「天皇」にこそ向けられなければなるまい。しかし、それができるはずのキリスト教会でそれがどれだけ自覚的に行われてきたかかなりあやしいものがある。残念である。 にほんブログ村 人気ブログランキング
by kokakusouhachi
| 2019-03-04 09:17
| 随筆
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