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60年安保と新辺野古基地建設。
60年安保改定の時の首相は、今の安倍首相の祖父岸信介である。そして、この60年安保の時、樺美智子さんが圧死したのである。12月14日、新辺野古基地建設を強行しようとしていることは、60年安保の時をことを思い起こさせるのである。あの時は、国会議事堂が舞台だった。今は、日本の中でも東京から遠い沖縄の辺野古が舞台になっている。しかし、共通するものがある。日米安保条約であり、地位協定である。そのことについて、岩波新書に原 彬久著『岸 信介』に記述があるので、以下紹介したい。1995年に出されたもので、その220頁に、樺美智子の死が書かれている。そして、同じ頁に岸信介が、自衛隊を使おうと考えたことも書かれている。ちなみに、信介は「のぶすけ」とよむ。 岸が赤城防衛庁長官に「自衛隊出動」の研究を命じたのは、この頃である。岸の基本的態度は、この院外闘争をあくまで治安力で抑え込むというものであった。とはいえ、六月四日の戦後最大の交通ゼネストを経て、同月一〇日に起きたいわゆるハガチー事件(米大統領新聞係秘書ハガチーが来日した折、労組員、学生などのデモ1000人に行く手を妨害された事件)は、岸の「決意」すなわち「予定通りのアイク訪日」への固い決意を動揺させるに十分であった。 しかし、同事件の原因を「警察力の脆弱さ」に求める岸は、一方で防衛庁長官にたいして、今度は「研究」ではなく、実際に「自衛隊出動」そのものを求めるとともに(結局、防衛庁内の「反対」を岸が受け入れて、これは実現しなかった)、他方ではすぐさまみずからの態勢を建て直して、「予定通りのアイク訪日」へと突っ走るのである。 ところが、事態は突如暗転する。六月一五日国会構内に乱入した全学連主流派約4000人と警察官が激突するなか、学生樺美智子が圧死する。政治的緊張は一挙に極点に駆け上がる。岸がアメリカ側に「予定通りのアイク訪日」の決意を改めて伝えた、その直後の事件であった。しかし痛恨にも岸は、樺事件の翌16日夕刻に開かれた臨時閣議において「アイク訪日」の断念を表明したのである。そして「アイク訪日」の断念は、いま一つの重大な決断を岸に促す。みずからの「退陣」であった。 私は、ここを書き写しながら、今、政治的な主戦場が東京の国会議事堂前ではなく、東京から遠く離れた沖縄の辺野古に移ったの感じている。時あたかも、その国会議事堂では、暴力的・問答無用の強行採決により、「外国人労働者管理法案(これは正式名称ではないが、わたしが意味内容にふさわしいと思って考えた)」が成立した時となっている。国会議事等内ではこのようなことがされ、辺野古の海には、沖縄の人たちの強い反対があるにもかかわらず、ど土砂投入が強行されようとしているのである。わたしたちは、これを容認することはできない。今からでも、政府は、土砂投入を思いとどまるべきである。もし、強行して、死人が出たら、その人が海上保安庁などの政府側の人であろうと、沖縄の人などであろうと、それは土砂等投入を決意した安倍政権の責任である。
by kokakusouhachi
| 2018-12-08 23:46
| 随筆
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