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再読と言っても、もう何回か通読しているのである。
古田暁訳。邦訳で最初の10頁ほど読み進め、一休み。一挙に読まなくてもいい。私は主に、『プロスロギオン』に注意を向けていたが、最近、ヨハネによる福音書における「エゴ・エイミ」について説教する機会が与えられ、新たな思いをもって、『プロスロギオン』を通読し、次は『モノロギオン』を読みかえしている。 かなり新らしい発見をしているのだが、『モノロギオン』と『プロスロギオン』のつながりが見えてきた。そこに「偉大なるもの」という表現が出て来ていて、これは「それ自体で存在するもの」である。つまり、これは三位一体の神のことを指しているのであるが、「この偉大なものは存在する」と言っているわけである。これが『プロスロギオン』になると、「それ以上偉大なものは考えられ得ない何か」と「神」の定義をすることに向かっていたのだと思われる。 にほんブログ村 社会・政治問題ランキング
by kokakusouhachi
| 2018-09-25 16:37
| 随筆
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