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白井聡著『国体論 菊と星条旗』の中で、わたしがもっとも激しているとみた文章。たぶん、ここが、この著作の執筆のもっとも深い衝動をあらわしている。
そしてそのただひとつの結論とは、実に単純なことであり、日本は独立国ではなく、そうありたいという意思すら持っておらず、かつそのような現状を否認している、という事実である。 ニーチェや魯迅が喝破したように、本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以は、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗中傷する点にある。本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである。 深刻な事態として指摘しなければならないのは、こうした卑しいメンタリティが、「戦後の国体」の崩壊期と目すべき第二次安倍政権が長期化するなかで、疫病のように広がってきたことである。(297~298頁) ここのところは私も全く同感なのであるが、私は、この「奴隷根性」は、天皇制が養って来たものではないかと考えている。いわゆる「長い物には巻かれろ」で言われていることだが、「象徴天皇制」もまた、この「奴隷根性」を養っているのではないか、という疑念を私はどうしても拭いきれない。だから、白井聡氏が、現在の天皇に「霊的権威」を感じるようなことを書いているところで、「白井氏も危ないなあ」と感じてしまうのである。そう感じた文章を以下に引用する。 2016年の天皇の「おことば」についての著者のつぎのような文章。 この事態が逆説的に見えるのは、起きた出来事は「天皇による天皇制批判」であるからだ。「象徴」による国民統合作用が繰り返し言及されたことによって、われわれは自問せざるを得なくなったのである。すなわち、アメリカを事実上の天皇と仰ぐ国体において、日本人は霊的 一体性を本当に保つことができるのか、という問いをである。もし仮に、日本人の答えが「それでいいのだ」というものであるなら、それは天皇の祈りは無用であるとの宣告にほかならない。われわれがそう答えるならば、天皇(および想定される地位継承者たち)はその地位と職務を自らに課し続けるであろうか。それは甚だ疑問である。(338~339頁) 私には、ここは、根底に天皇崇拝の萌芽を感じるのである。日本国を一つの「霊的共同体」とみなすのは、思想・信条の自由、信教の自由を掲げる日本国憲法19条・20条を認めまいということになるのではなかろうか。ここに「新しい国體論」が誕生しようとしているのではないか。これはあくまで、わたしの感想であるが、問題を感じる箇所である。 にほんブログ村 社会・政治問題ランキング
by kokakusouhachi
| 2018-08-15 14:31
| 随筆
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