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教会や個人としてのキリスト者が政治・社会問題に関わることに疑問を呈するキリスト者・教会が存在するけれど、結局、そういう姿勢が、戦前・戦中の日本の教会に戦争協力をなさしめたのである。日本基督教団では、戦闘機を献品するために、献金を募ったことさえある。そして、実際、戦闘機を献じたのである。これはまた聞きなので、確認が必要だが、武蔵野教会にいたことのある人から聞いた話であるが、武蔵野教会は献金額では、全国で最高だったという。その時、かの熊野義孝さんは、武蔵野教会の牧師だったのである。熊野神学の批判が必要だというのは、そういう理由もある。「日本で出た最高の教義学者だ」などという言い方で、その問題が忘れられてはなるまい。
ちなみに、日本基督教団の「連合長老会」という団体は、もともと熊野門下の同窓会のようなものであったと言われているが、いまや教団内では党派的な活動をしている。それも憂慮すべきことである。 熊野義孝という人は植村正久の弟子にあたるけれど、植村正久は、熊野義孝さんのように書斎に閉じこもる人ではなくて、社会的発言もした人である。内村鑑三不敬事件の時、目立っていた。 だから、長老主義の教会、改革派の教会が社会的なことに関わらないのが、当たり前のことではないのである。 今の連合長老会の狭隘さというのは、熊野義孝という人の個人的資質によるものではないか、と私には思われるのである。決して、神学的なところから出て来ているのではないと思われる。それは、終末論を「死」の問題からしか見ていないように思われるところにも現れている。教会を大事にするようなことが基本にあるのだが、そのさらに奥にあるのは、個人主義ではないか、と私には見えるのである。この場合、わたしが個人主義というのは、教会の社会的責任を大事にしないキリスト者の個人主義である。 以上書いたことは、今の段階では、感想程度のことであって、本当は、熊野義孝氏の著作、行動についてある程度調べて、論評すべきことであろう。しかし、人生の時間は短く、何をまず第一すべきかは、日々、自らに問われていることであって、私はなかなか熊野神学批判をするための時間をとることができない。しかし、私は、これは特に、神学校などで教えている教義学専攻の学者たちにしてもらいたい仕事である。ここに一つ、し残されている仕事があると思う。 にほんブログ村 社会・政治問題ランキング
by kokakusouhachi
| 2018-07-18 10:22
| 随筆
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