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少し、覚えのために引用したい。
カール・バルト『教会教義学』「神論2/1 神の恵みの選び 上 吉永正義訳」181頁 このこと、――人間とのこの契約を、神がそのみ子を人間のために、その恵みを実行に移すために、自らを人間となるべく与え給うということの中で、実現しようということ――が初めにおける父の選びであった。恵みに対し服従し、したがって[そのことのなかで]あの契約が現実となるようにと、ご自身を捧げ、人間となるということが、初めにおけるみ子の選びであった。神の単一性、父と子の単一性が、人間とのこの契約を通して妨げられたり、ましてや引き裂かれたりすることがなく、むしろ、それだけ栄光に満ちたものとなるということ、神の神性、その自由とその愛が神的なものであることが、まさに、父がこのように与え給い、み子がご自身を犠牲に供せられることの中で確認され、確証されるということが、初めにおける聖霊の決定であった。 この選びが初めにあったのである。 そしてこの選びの主体および対象として、イエス・キリストが初めにい給うた。[そうは言っても]イエス・キリストは神の初めにい給うたのではない。神は、言うまでもなく、いかなる初めももち給わない。しかし、イエス・キリストはすべてのものの初めに、神とは異なった実在と取り組む神のすべての行為の初めに、あった。イエス・キリストは、この実在に関する神の選びであった。イエス・キリストは人間との神の契約の選びであった。 (私のコメント) ここのところを今朝、読み、理解したので、バルトが「神の恵みの選び」の章で言おうとした最先端をつかんだと言ってよいだろう。 バルトがこの文章を書いた時、バルトは母国のスイスに帰っていた。ヒトラーに忠誠宣誓をしなかったため、ドイツのボン大学のの先生であることを続けることができなくなっていた。 ヒトラーの軍隊がスイスにいつ攻め入ってくるかしれない時に、バルトは、今書き写したようなところをバーゼル大学で講義していたのである。スイス国境の警備のために、銃を持って警備にあたったこともあった。結局、ヒトラーに対する抵抗も、このような文章を書くことと無関係ではなかったのである。ヒトラーを神としないこと。イエス・キリストによって啓示された神のみを神としたこと。 にほんブログ村 社会・政治問題ランキング
by kokakusouhachi
| 2018-06-25 16:21
| 随筆
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