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ユンゲルが、私に教えてくれたこと。大木・佐藤訳『神の存在』174頁。
それゆえ、神は、三位一体の第二の存在様式において、ご自身を選ぶ神として規定されたのである。「イエス・キリストは選ぶ神でありたもう」。ここで三つの存在様式のひとつかが選ぶ神と規定されているかぎりにおいて、われわれは、神の原決断を、神の存在において神の存在様式において区別している出来事としても理解せねばならないだろう。み子の存在様式における選ぶ神と、選ばれた人間ナザレのイエスとが、イエス・キリストにおいて、ひとつの人格(eine Person)であるかぎりにおいて、選ぶ神はすでに、「彼が選ばれた人間として、ご自身の人間性の中で、彼らすべてを選ぶ神ご自身でりたもうとうこと」へと規定されているのである。しかしもしそうであるならば、神の三位一体的存在の第二の存在様式を選ぶ神へと規定する出来事は、次の事、つまり、この出来事は、選ぶ神の子を選ばれた人間としてそれ自身の人間性の中ですべての人間を選ぶ神であることへと規定するということを、無視したままで考えられ得ないのである。 ここのところを私は、ほとんど熱狂してここに書いた。バルトの三位一体論と予定説が私の中ではつながっていなかったからである。ところが、今や、それがはっきりつながった。「つながった」と感じればこそ「熱狂」する。こうして、バルトの予定説は、ただ、バルトの信仰義認論とだけではなく、まだ神義論との関連だけでなく、三位一体論ともつながったのである。「つながった」というより「つながっているということに気づいた」ということではある。 にほんブログ村 人気ブログランキング
by kokakusouhachi
| 2018-04-21 10:45
| 随筆
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