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元SEALDsの諏訪原健「国会デモのDJブースで人々の笑顔があった理由」<dot.> 4/17(火)7:00配信 AERAdot. (ブログ主のコメント) この記事は、「笑顔」という言葉にひかれて、読む気になった。なぜなら、私も、数日前から笑顔が自然に浮かんでいるのを自分自身について、感じている。何か、長く日本の空を覆っていた重苦しい雲が取り除かれつつあるのを感じるからである。自由を感じるというのか。わたしの笑顔は、国会前のデモに参加した人たちの笑顔と同じものだと思う。以下、諏訪原健氏の現場レポート。 森友疑惑をめぐる財務省の公文書改ざんや、加計学園の獣医学部新設をめぐる問題を追及しようと市民団体が14日、東京・永田町の国会議事堂前で大規模な抗議デモを行った。主催者発表で約5万人が集り、安倍政権に抗議の声をあげた。元SEALDsの諏訪原健さんが現場をルポした。 国会議事堂の前で、人々によって抗議の声が挙げられる時、歩道と車道の間には、警察の手によって無数の鉄柵が設けられている。くすんだ銀色の鉄柵は、すべてをつなぎ合わせるように青いロープが巻き付けられていて、簡単には倒れないようになっている。 さらにその内側には、歩道を分断するようにカラーコーンが配置されている。人々は警察に歩道の半分のスペースに誘導され、そこで抗議をするように求められる。これは片側を通路として確保するための対応だが、「声を上げるなら管理する者に従え」、「結局はお上に逆らうことはできない」と暗示されているようである。(同感、私も二度は国会前に抗議に行って、そう感じた) 世界のデモに目を向ければ、人々が広場や路上に大きく広がっている光景はありふれたものだが、この「民主主義国家」では、それすらスタンダードではない。(私もそう感じている。大阪でも同じである)。そこには、権威や空気に従うことを求められ、声を上げることを特別視する、この社会の有様が反映されているのかもしれない。 さて、4月14日の12時50分頃、私は桜田門駅から国会議事堂の方へと歩みを進めていた。この日行われる、安倍政権に対する抗議行動に参加するためである。この日もいつも通り、国会議事堂前正面の並木通りには、鉄柵が設置されている。いつもと少し違うのは、通りの最後尾に、やらゆらと動くバルーン人形が置かれていることだ。それ自体は大したことではないかもしれないが、「今日はこれまでとは違う風景が見られるのではないか……」、と少しだけそんな気持ちになった。 14時頃、抗議が始まる。並木通りを網羅するようにセッティングされた音響からは、ステージでのコールやスピーチの声が響き渡る。そんな中、ステージがある列の最後尾には、音楽とコールが鳴り響く。その通りを挟んでちょうど反対側でも、ドラムに合わせてコールが始まる。その周囲には徐々に人が集まってきて、きづけば、DJブルースの人だかりは通路を塞ぐほどに膨れ上がる。警察は、人々が車道に溢れることを警戒したのか。太い針金で鉄柵同士を固定し始めた。 15時25分頃、「前へ!」というコールに合わせて、DJブースにいた人々が国会議事堂のほうへとゆっくりと歩き出す。同時に反対側にいたドラム隊もコールをしながら、ステージの歩道に向かって移動してくる。早めに帰る人々と、前に進む人々の波がぶつかり合い、歩道だけでは人が収まりきらない状態になる。人々の体が鉄柵を推し動かす。 「ガシャン!」と大きな音を立て、複数個所で鉄柵が崩壊する。その音を合図にして、堰を切るように人々が車道へと溢れ出す状況を、わたしたちは「決壊」と呼ぶ。「決壊」を目の前にして、私も大型のトラメガ(拡声器)を担いで、「前へ!」とコールしながら進んでいく。(私:書き写しながら涙が出て来る) 車道に足を踏み入れると、目の前パッと明るくなったように感じる。鉄柵によって歩道に押しとどめられている時には、周囲に生い茂った木々でそらの明るさに気付かなかったのだ。人々の血からで、この社会の抑圧を打ち破ったかのような錯覚を起こすほどに、見える景色はガラッと変わる。そしてこの瞬間、路上に突如として、民衆のための「広場」がつくり上げられる。 国会議事堂の真正面では、コールとレスポンスが響き渡る。人々は拳を突き上げている。その傍らの歩道にあるステージでは、人々は今の政治への思いを言葉にする。そして車道の彼方にはDJブースが移動してきて、さながらクラブイベントのような様相を呈している。そんな中で、ただ静かに国会議事堂を見つめる人もいる。 いずれにしても、「広場」に集まった人々の根底にあるのは、今の政治や社会に対する怒りだ。怒りは現実をかえようとする大きなエネルギーを持っている。それが国会議事堂前で、様々なスタイルの表現となって噴出したのだ。これまでも「決壊」の場面に幾度か立ち会ったことがあるが、こんな光景を目にしたのは、初めてのことだった。 今回の抗議では、人々の笑顔を多く見かけたような気がする。それは自らの力で「広場」をつくり上げ、自らの声を形にしたことの喜びや、ここからこの社会の民主主義をさらに豊かにしていこうという希望の表れではないかと受け止めている。 「こな光景が根付いていけば、私たちの生きる社会はもっと自由になる」、4月14日の国会議事堂前で、私はそんな気持ちにさせられた。 にほんブログ村 人気ブログランキング
by kokakusouhachi
| 2018-04-17 15:41
| 随筆
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