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確かに、教会の中でも「天皇制」の問題は、かなり話しづらい。しかし、キリストを信じる者たちが、「天皇制について語るのはタブーだ」と言い出したら、主イエス・キリストに忠実であるかどうか。わたしは、忠実でないと思う。
天皇制は、象徴天皇制であっても、ゆるやかであっても、国民を縛っているものがあると見ている。かつての治安維持法のようなものがなく、日本国憲法は人権保障を歌っているので、思想・信条の自由や信教の自由は、守られていると考えている人は多いだろう。 しかし、牧師である私は、説教で天皇制に触れることはきわめて神経を使うことになっているのである。日本国憲法下でさえそうなのであるから、大日本帝国憲法下で、天皇制を論ずることは命に関わることであったろう。「天皇機関説事件」、「大逆事件」がそのことを示している。いや、1890年の「内村鑑三不敬事件」、その前の年の1889年、大日本帝国憲法発布の日、玄関先で、森有礼が包丁で刺殺されたことがそれを示している。 多くのクリスチャンたちが、心の底の底では「迫害」を恐れているのである。切支丹迫害の歴史は、今の日本人の心の中でも働いているのである。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2018-02-25 20:48
| 随筆
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