最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
キリスト・イエス(3643)
教会(3000) 安倍晋三(2024) 森友学園(1566) 加計学園(1390) 共謀罪(159) 日本基督教団(137) 佐藤優(64) 天皇制(42) 辞書(36) ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
私は、時々、「正直すぎる」と言われることがある。なぜ、そうなのかと考えてみて、根本的に、私は、自分の心の奥底にある私の思いも、神は見通されている、と思っていることが大きいと思う。人には、嘘が通用しても、神様には通用しないとかなり強く信じているところがある。。
しかし、いかに私が正直だと言っても、わたしの悪いところや醜いことをこのブログで全部書く気はない。そんなことをしても誰のためにもならないだろう。 それにこういうことはある。私は、神の目で私自身を見ることはできない。私は、神ではなく、人間だからである。神は人間の目をもってではなく、神の目をもってわたしを見られる。そうすると、私自身では、私とはこういうものだと思っているものは、やはり私の主観によって歪められていて、特に偽ろうとしなくても、自分のことをとらえそこなうのである。 それなら、わたしたちは、何によって、わたしたち自身を知るか。それは、肉をとられた神、イエス・キリストと出会うことによって、わたしたち自身を知ることになる。 ペトロは自分のことは自分がよく知っていると考えていた。しかし、イエスは、ペトロ自身よりペトロのことを御存知だった。ペトロは、自分は決してイエスを否認しない、と言ったけれど、いざとなったら三度も否認してしまったのである。 イエス・キリストこそが、わたしたちの「かがみ」である。この「かがみ」に照らされると、わたしたちは、すべての人間が死すべき・滅ぶべき罪人であると、思い知らされるのである。そのような者たちのために、キリストは十字架の上で死に、わたしたちの罪を取り除き、わたしたちが神の御前に出ることができるようにしてくださったのである。 神の愛、キリストの愛は計り知れない。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2018-01-20 22:15
| 随筆
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||