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今や、私は日本基督教団の教会としての問題に取り組み始めているのだが、そうすると、日本基督教団の問題というのは日本の教会の問題なのであるということが次第にわかってきた。
井上良雄先生が、バルトの『教会教義学』の「和解論」のところの教会論をダイジェストにした本を出したわけがわかった気がする。ある種の日本基督教団に対する絶望のようなものが、この仕事を井上さんになさしめたのではないか。 私は、ごく最近まで、自分の説教のために、バルトの『教会教義学』を読んでいたのだが、突然、日本基督教団の一員であり、牧師であることの意味が分かり始め、一気に日本プロテスタント教会の歴史全体が、自分の肩にもかかっているのが分かり始めた。 わたしは、北村慈郎牧師の免職問題で、否応なしに日本基督教団の問題に取り組むようになってしまったのだが、日本のプロテスタント教会がどのように困難な問題を抱えて出発したかということにも気づかされるようになった。 わたしは、19歳の時、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んで、主に神義論的な方向から神を信じることについて取り組んできたように思う。言い換えれば、ドストエフスキーの設問に、バルトがどのように答えるか、という問題の立て方で進んできたように思う。ドストエフスキーが据えた土台の上に、わたしの信仰を建てた、といえようか。 しかし、今は、そうではない。もっと広い時空の中で、神を信じること、宣教することが始まっている。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2018-01-11 21:44
| 随筆
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