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一休みして目が覚めると、来年の4月くらいまでしなければならないことを考える。
私は、日本基督教団が1941年に成立してから、敗戦を迎えた1945年8月ごろまでの、日本基督教団の活動の記録を読んで衝撃を受けた。それは、実に無残な日本の教会のありさまを示していた。それまでも、戦時下の日本基督教団の惨めなありさまのことは少しは知っていたが、昨年、日本基督教団史資料集第一巻と第二巻を読んだ時の衝撃は大きかった。「衝撃」というよりか、なんとも言えない不快感を感じた。ここまで堕落したか、という驚きとおそれ。わたしが、その当時生きていたとして、天皇崇拝に飲みこまれていく教会で、その流れに抗することができたかというと、とても自信はない。早い時点で、天皇崇拝が、教会の中で蔓延しないために、少しでも働くほかはない。 私の考えだと、「日本的な自然神学」というものがあり、これに対して、もっとも有効な、対抗的な啓示神学がカール・バルトの神学である。あるいは、ドイツ告白教会の『バルメン宣言』がそうである。カール・バルトの啓示神学は、ヨーロッパにおける自然神学を乗り越えるべく登場したものだった。そして、ヨーロッパの自然神学の基礎にはギリシャ哲学、特にアリストテレスの影響が強かった。近世の哲学者ではデカルトの影響の影響が強かった。 日本では、「天皇崇拝」あるいは「天皇崇敬」といかに取り組むかということが、教会の大きな課題であり続けるだろう。 実は、これは、日本の仏教界においても同じ問題があると思われる。仏教では、「啓示」ということは言わないが、仏教としての純粋性が、天皇崇拝によりそこなわれてしまうということがあるのである。その問題は、島薗進さんが、中島岳志さんと対談しているところでも取り上げられていた。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-12-25 21:24
| 随筆
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