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ボンへッファーが「究極のこと」と言っているのは「恵みと義認」のことである。しかし、ボンへッファーは「究極以前」のことは、「究極のこと」の「道備え」になるという。神が用いてくだされば、ということではあるが。12月14日のボンへッファーのことばを一部、引用する。
キリストへの信仰を持って生きるということは、「究極のこと」が私のうちで始まるということであり、イエス・キリストが私のうちで生きるということである。しかしそれは、常に、「究極のこと」を待ち望みつつ、「究極以前の事柄」と関わりながら生きるということでもある。キリストへの信仰を持って生きる生は、「究極のこと」を待ち望むことにまさに真剣になるが、しかし「究極以前の事柄」に対しても、やはり真剣になるのである。もちろんその際に「究極以前のこと」と、「究極のこと」が混同されることがあってはならず、「究極のこと」にとって、「究極以前のこと」は遊びのようなものであるのだが、そのことを踏まえた上で、やはり、「究極的なこと」と「究極以前のこと」は、それなりに真剣さを持つのである。(村椿嘉信訳) ボンへッファーは、ヒトラーにたいする抵抗運動をしながら、この文章を書いている。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-12-14 10:31
| 随筆
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