最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
キリスト・イエス(3643)
教会(3000) 安倍晋三(2024) 森友学園(1566) 加計学園(1390) 共謀罪(159) 日本基督教団(137) 佐藤優(64) 天皇制(42) 辞書(36) ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
ドイツでは、戦後、「過去の克服」が言われ、日本では「戦争責任」のことが言われた。
私は、ドイツのこの「過去の克服」という言葉をどれだけ前に聞いたのだろうか。それは耳慣れない言い方だった。そして、違和感を感じたのだった。 しかし、今や、日本にとっても「過去の克服」が大事だったのだということに思い至らされてる。これは、もちろん、「戦後レジームからの脱却」とか「日本を取り戻す」こととは全く違うことである。 「過去の克服」は、新しい歩みを始めることであって、過去の生き方を肯定することではない。我々日本人は、そのことに全く失敗したのではなかろうか。 それは、戦後、新しい日本をどのように築くかという問題だったのであるが、それはただ日本国憲法を守るというだけではすまない問題が根本にあったのである。それは、日本人の生き方の問題である。その中身のところがおろそかになっていて、「過去の克服」ができなかったことに最大・最深の問題があったし、いまなおあり続けるのではないかと思う。 実は、そのことを福音宣教で、わたしは目指したということはあるのである。福音宣教はなにも、日本が心から「過去を克服」するのを第一の目的とするものではない。福音宣教は「御名をあがめさせたまえ」という祈りを第一にすることによってなされる。しかし、日本人が真に、キリストによって歩むことを始めなければ、「過去の克服」はできないだろう、というのが私の昔からの確信だったのである。そして、それは最近の日本のありさまを見れば、ますますそう強く思うようになっている。 森有正は、そのことを何とかしようと試みた代表的な日本人の一人だろう。 今、私は、日本人が「過去を克服」しようとすれば、明治維新までさかのぼって考えてみる必要もあると思っている。かつて戦争に反対した柏木義円も、ある時から明治維新までさかのぼって天皇制のことを研究し始めた形跡がある。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-12-13 09:18
| 随筆
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||