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今朝投稿した『父なる神とイエス』の中で、私は、もう一つ取り上げたいテーマがあることを書いた。それは「聖霊で洗礼を授ける方イエス」というものである。
これもマルコによる福音書で論じよう。 バプテスマのヨハネは、イエスが登場される前にこう言った。 「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」(マルコ1.8) イエスは、「聖霊によって洗礼を授ける方」と言われているが、その後、イエスがヨハネから水の洗礼を受けられた後、天が裂けて、聖霊がイエスに降って来たのである。 さて、第一の問題だが、マルコによる福音書のどこに、イエスが聖霊で洗礼を授けられた場面があるか、という問である。そして、私は断言するが、マルコによる福音書には、イエスが聖霊で洗礼を授けられた場面はないのである。それが、ルカによる福音書、使徒言行録、ヨハネによる福音書では、あるのである。それはいわゆる「ペンテコステの出来事」である。ヨハネによる福音書20章22節には、「ヨハネ福音書のペンテコステ」と言われる出来事が書かれている。 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」 これは、復活されたイエスが、弟子たちに聖霊で洗礼を授けられた場面である。使徒言行録の第2章のペンテコステの出来事は、イエスが聖霊で、弟子たちに洗礼を授けられた出来事である。ルカによる福音書の終わりに復活されたイエスが、使徒言行録のペンテスコステの出来事を予告されている場面がある。そこでは、こう書かれている。 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高いところからの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。(ルカ24.49) この「父が約束されたもの」「高いところからの力」こそ、聖霊なのである。ペンテコステの出来事は、イエスが弟子たちに聖霊で洗礼を授けられている出来事である。 マタイによる福音書には、ペンテコステの出来事は書かれていない。だから、「聖霊による洗礼」のことがはっきりわかる形では書かれていない。しかし、こう書かれているところがある。 彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け(マタイ28.19) ここは「水での洗礼」を指し示してているところだと解釈されているところだが、それはそれでいいと思うのだが、「聖霊での洗礼」が「水での洗礼」の背後にあるように思われる。水での洗礼は、弟子たちが授けるのだが、それを用いて、イエスが聖霊で洗礼を授けられるということが暗に言われているように思われる。 さて、マルコによる福音書に戻ろう。 マルコによる福音書には、ルカ、ヨハネのように明らかにイエスが聖霊で洗礼を授けられた場面はない。ただ、イエスが弟子たちに聖霊たちに聖霊を授けられたことを前提にしたようなところはある。 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。(マルコ13.11) 大体、これで書くことはなくなった。しかし、イエスと聖霊の関係はどうなっているか、と問うならば、イエスは、ただ「聖霊」で洗礼を授けられる方であるだけでなく、その前に「聖霊を受けられた方」でもあることがマルコによる福音書1章10節で明らかである。そして、イエスの働きと聖霊の働きが一つであることを思わせる場面があちこちにある。 そして、マルコから離れて、ルカを読むと、ルカによれば、イエスの誕生そのものに聖霊の働きがあることがわかる。 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ1.35) この後、聖霊を受けたキリスト者のことについても論じる順序となろうが、それは今回はしない。マルコ13.11は、そのような箇所の一つである。 にほんブログ村 人気ブログランキング
by kokakusouhachi
| 2017-11-10 00:23
| 随筆
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