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警視庁によると、白石隆浩容疑者は今年6月ごろ、父親に対して「何のために生きているかわからない」などと漏らしていたという。
この「何のために生きているかわからない」というのは「ドキッ」とさせる言葉ではなかろうか。この言葉について、いろいろなことを考えたが、今はそれについて書く時間がない。また、書きたい。「何のため生きているのかわからない」という人たちは、かなりの数、いるのではなかろうか。私もかつて「何のために受験勉強しなければならないのか」と親たちに聞いたことがある。それは、「どう生きればよいのか」とう生き方の問いに代わっていったが。 吉野源三郎は「君たちはどう生きるか」と問うた。これは「どのように」生きるか、という「生きる」ことを前提にした問であったが、「何のために生きているのか」という問は、虚無的な、ニヒリスティックな問いである。死を望んでいるような問である。 ここでは「虚無」と「死」が力を振るっているように見える。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-11-02 13:24
| 随筆
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