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漫画ではあるが、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んだが、実はその時、私の脳裏に浮かんでいたのは「転向」という言葉だった。この「転向」という言葉は、わたしの世代では、もうひと世代前の言葉のように感じられたものである。
私の理解している範囲のことを言うと、吉野源三郎が若かった時には、共産主義・社会主義が、若者の関心事で、新しい社会をつくって行こうという気持ちが高まっていた時代だろう。第一次世界大戦後、ソビエト連邦が生まれていたのである。革命が外国ではあるにしても起きていたのである。そして、日本国内では、若者たちがそのような思想に染まるのを嫌い、迫害が始まったのである。それは、キリスト者に対する迫害ではなかった。1930年に共産党に対して大弾圧があった。その時のことを小林多喜二は書いている。後に、小林多喜二は、官憲に虐殺されてしまったが。 だから逮捕され、獄に入れられた人たちは、獄中で拷問を受けて、自分たちの主義主張を暴力によって捨てさせられるということが起きたのである。 吉野源三郎は、転向しなかった人だろうが、仲間の中に転向する人がいても、彼は、それを責めはしなかったろう。そういうことがうかがえるのである。『君たちはどこに生きるか』には。 そのような書物が、今、共感をもって読まれているということは、今、あの1930年代と同じことが起きているのではないか、と思わせるのである。それはソフトな形でのファシズムであるが、いつ激しい形になるかわからない。そういう時代にわたしたちは生きているのではなかろうか。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-10-31 00:22
| 随筆
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