最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
キリスト・イエス(3643)
教会(3000) 安倍晋三(2024) 森友学園(1566) 加計学園(1390) 共謀罪(159) 日本基督教団(137) 佐藤優(64) 天皇制(42) 辞書(36) ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
本論は、これからです。
問題は、「福音」とは何か、ということです。わたしは、少しばかり不用意に「十戒」を書いたと思います。福音を理解している人たちに向かって「十戒」を書いているつもりでした。 私たちイエス・キリストを信じている者たちにとって、十戒をどのように聞くか、という問題があります。ユダヤ教徒が十戒を聞く時と、キリスト者が十戒を聞く時では、同じ十戒を聞くとしても、違ったことを聞いているかもしれないのです。いや、聞いているでしょう。もちろん、イエス・キリストとモ-セは相反するものではありません。マルコによる福音書9章2~4節にこういう記事があります。 六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモ-セと共に現れて、イエスと語り合っていた。 このモ-セは、神から聞いた十戒をはじめとする律法をイスラエルの民に与えた人です。「エリヤとモ-セ」は、旧約聖書の代表的人物です。つまり、この場面は、旧約聖書の預言者たちが語っていたメシアは、イエスだったということを意味しているのです。だから、旧約聖書はイエス・キリストをさしているものだというのが、私たちキリスト者のとるところです。つまり、「十戒」も、イエス・キリストを指さしている。そして、十戒を成就したのはイエス・キリストであり、イエス・キリストの十戒理解こそ、真実な十戒理解だということです。イエス・キリストの安息日理解こそ、真実な安息日理解だということです。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-03-12 19:13
| 随筆
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||