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どういうわけか、バルトの『聖霊とキリスト教生活』を読み直したくなったので、この3日間ほどかけて、読み直した。この書は、新教新書の一冊に入っており、日本聖書神学校の図書館にあったのを借りて、かなり長い日数をかけて読んだのだった。もう37年ぐらい前のことである。その当時、わたしはアウグウスティヌスにどのような態度をとるか迫られていたと思う。この『聖霊とキリスト教生活』は、今度で3回目か4回目だろう。今、読み直す気になったのは、ひょっとしたら幸徳秋水の『帝国主義』を読んだせいかもしれない。『帝国主義』も、日本聖書神学校の寮で読んだ。同時期かもしれない。
私は、アウグウスティヌスのペラギウス論争の書物にかなり強い影響を、神学校に入る前に既に受けていたと思う。 バルトが、『聖霊とキリスト教生活』を書いたのは1930年であり、このころ、バルトは『知解を求める信仰』を書いていたはずである。終生書き続けることになった『教会教義学』を書き始める直前のことである。『聖霊とキリスト教生活』で、バルトは既に『教会教義学』の大要とも言えることを書いていると思う。 この書で、バルトはカトリック神学と根本的に対峙している。これを読みながら、私は、トリエント公会議でのカトリックの告白文を読み直したくなった。 ![]() 人気ブログランキング ![]() にほんブログ村 ■
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by kokakusouhachi
| 2017-06-03 21:57
| 随筆
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