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とんでもない買いかぶりだろう。
熊野義孝の神学に決定的に欠けているのは、キリスト教会が、社会に負っている責任について、何も語っていないことだろうと思われる。バルトはまるで違う。 この社会とのかかわりについては、師の植村正久の方がだいぶましだったのではないか。 それと、熊野義孝のもう一つの大きな問題は、その終末論にあると思われる。自分の死のことしか考えていないのではないか。イエス・キリストが言われた「神の国」は、教会と同一ではないだろう。しかし、熊野義孝は「神の国と教会は同じ」と考えていて、ひたすら教会形成のための神学をしているのではないか。だから、天皇制の問題にまるで、無反省だったのではないか。 戦争中、熊野義孝が何をしたのか、何をしなかったのか、根底的に問われるべきだろう。 にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-03-06 09:41
| 随筆
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