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「ねたみ」という言葉はいい意味を持っていない。日本語では「ねたみ」とか「そねみ」という言葉はいい意味を持っていない。ところが、聖書、特に旧約聖書は「ねたむ神」について語っている。そして、日本語に翻訳された聖書の言葉には、こういうところもある。
彼らは神ならぬものをもって わたしのねたみを引き起こし むなしいものをもって わたしの怒りを燃えたたせた。(申命記32.21) 昨夜、夜の聖書研究祈祷会で、申命記の27章から最後の章まで読んでいた時、わたしの心に、この「ねたみ」という言葉が深く入って来た。原語で知りたいと思った。そして、わたしは、この聖書で使われている「ねたみ」という言葉をもう避けたりはしない。神はその独り子をわたしたちに与えてくださったほどに世を愛された、と信じているから。そのような激しくも徹底的な愛をもってわたしたちは愛されている。どうして他の「むなしいもの」に心を向けられよう。 (後記) コンコルダンスを使い、ヘブル語大辞典を引いて、原語が何であり、どういう箇所で使われているか大体把握した。「ねたみ」「熱情」「熱愛」「熱心」と翻訳できる。新共同訳はほぼ、「熱情」で統一しているようである。しかし、誤解を招きやすいとはいえ「ねたみ」の方がいいのではないか。旧約聖書でも基本的に「ねたみ」という人間的感情には否定的である。それを承知で「ねたみ」という言葉が使われているのではないか。躓きをおそれずに使われているのである。「熱情」でし躓きは避けられるかもしれないが、伝えられるべきことも抜けるのではないか。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-01-13 17:03
| 随筆
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