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キリストが聖霊を受けられた出来事とペンテコステの出来事が対応する。
キリストが、ヨルダン川がバプテスマのヨハネから水の洗礼を受けたとき、天から聖霊を受けられたこと。そして、キリストが復活された後、そのキリストから弟子たちに聖霊が与えられたこと、つまりヨルダン川での出来事は、ペンテコステの出来事と対応しているのである。そして、この二つの出来事は派遣ということにおいて共通する。 それは、ヨルダン川でイエス・キリストが聖霊を受けられるのは、これからイエスがメシアとしての働きをするために、父から派遣されるという時に、上から力を付与されるという出来事だったということである。 そして、救いの業を成し遂げて、復活されたイエス・キリストは、今度は父から約束された聖霊、イエスご自身も弟子たちに与えられるように父に願われていた聖霊を、父から受けて弟子たちに与えられて、宣教に派遣されたということである。ペンテコステはなんのために起きたか。聖霊の力を弟子たちの与えるためだった。キリストにかわって、弟子たちが派遣されるための装備だったのである。聖霊の力は。しかし、弟子たちやパウロが宣教のために働いていた時、キリストも共に働いていらしたのである。父からの聖霊を弟子たちに与えられた後、キリストは手をこまねいて、神の右に座しておられて、何もしないでおられた、聖霊に任せておられた、ということではない。なぜなら、聖霊はキリストの霊でもあるからであり、聖霊が働かれているところではキリストも働かれているからである。 だから、「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ(ヨハネ5.17)」という御言葉は、イエスが昇天され、地上に姿を見せられなくなった後にも、今なお当てはまることばなのである。今この時も、イエスが父と呼ばれた方もイエスも働いておられる。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-12-29 10:49
| 随筆
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