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次いで「わたしたちの父である神と主イエス・キリストから」と書く。これは、最初は人間イエスが強調され、「キリスト・イエス」と表現され、次に出て来る「主イエス・キリスト」は「主である」ということが強調されて、「主イエス・キリスト」となる。
神は「わたしたちの父」であり、イエスはわたしたちの「主」であると言われる。ここでは、三位一体的に表現されているというより、「神は父であり、イエスは主である」と強調されているように思われる。「イエス・キリストの父である神と御子イエス・キリストから」とパウロは考えていない。 パウロは、神はわたしたちの父であり、イエスはわたしたちの主である、というように書いている。教義学的に書いているのではなく、「わたしたち」の方から、イエスを見、わたしたちの方から神を見た表現になっているのである。 このようなことを誰か学者が書いているかどうか私は知らない。しかし、パウロの立場になって考えてみると、パウロがどのように言葉を選びながら書いているか、わかるような気がする。 パウロにとって、イエス=キリストで、キリストと書く時、彼はイエスのことを考えている。そして、パウロはほとんどイエスと書くことはなく、キリストと短く書くか、主と短く書くかである。 それに対して、福音書ではイエスと書かれているところがほとんどで、キリストと書かれているところはほとんどない。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-12-24 16:03
| 随筆
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