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カール・バルトは自分の神学のことを「神の言葉の神学」と言った。しかし、わたしは「神の霊の神学」というものがあってもいいのではないか、と考え始めている。バルトは、和解論を書き上げることができず、「救済論」にまで到達する手前で、その生涯を終えた。しかし、バルトは、「救済論」をどのように展開するかは、心の眼で見ていたようである。そして、キリスト論中心の神学ではなく、聖霊論中心の神学を展開することも可能だったのだ、とある頃から考え始めていたのである。その形跡がある。
その時には、バルトは自分の神学を「神の言葉の神学」と呼ばずに「神の霊の神学」とも呼ぶことができたのではなかろうか。もちろん、彼は「神の霊の神学」を展開すること、書き下すことはゆるされなかったのである。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-12-23 10:47
| 随筆
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