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バルトは、「新約聖書は、キリストの復活を前提として書かれていないところはない」ということを言ったが、以下のようなことも言えるのではないか。
「新約聖書は、聖霊降臨を前提として書かれていないところはない」と。 そして、クリスマスについて、マルコによる福音書は何も書いていないが、ペンテコステについては、最初の方に書いてある。「その方は聖霊で洗礼をお授けになる。(マルコ1.8) ということは、マルコにとって、クリスマスの出来ごとより、ペンテコステの出来ごとの方が関心事であったということである。 ブルーハルトを「聖霊論的」に読み直す必要を感じ始めている。バルトがまだ、明瞭に語らなかったことを、ブルームハルトは明瞭に語っているのではないか。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-12-21 10:18
| 随筆
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