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これは、明日の礼拝で取り上げる聖書の箇所であるが、特にクリスマスということで取り上げた。しかし、結局、わたしは希望の根拠、力の根拠を求めていたのであろう。そして、その根拠を、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」というヨハネによる福音書1章14節と取り組むことによって、見出すことがゆるされた。もともとそうだろうという予想はついていたのであるが、なかなか言葉にできなかった。説教原稿を書きながら、一歩一歩前進していて、今まで見たことがないような光景が目の前に広がっていく思い。
考えてみれば、この個所から説教したことはなかった。そして、説教原稿を書き上げた後、ヨハネによる福音書1章1~13節を読み直してみて、今までとまるで違った感じになっているのを感じた。光は、一人の人イエスから差しのぼるのである。肉となられた言であるイエス、この方こそ「世の光」なのである。その光は人の高さから放たれるのである。わたしは、今まで虚空、夜空の彼方から光が射し込むように感じていた。しかし、光はイエスから放たれる。光は、イエス・キリストからわたしたちに放たれるのである。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-12-17 16:40
| 随筆
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