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前から持っていた巽一朗著『中学英語を復習してモノにする本』、増本浩子著『1か月ドイツ語』を、ざっと2,3日で読み終える。
考えてみれば、中学校3年間勉強したのだから、その3年間で基本的なことを勉強したのではないか、と思ったからである。私は、中学校を卒業した後、工業高等専門学校に行ってしまったので、英語が中途半端なところで終わったと考えていた。中学校では真面目に勉強していたのだが、高専では、受験勉強せずにすんだ。そのために勉強せずに済んだ。高専を卒業して一度勤め、また大学に入る時、英語の受験勉強をしたくなかったので、ドイツ語で受験した。ドイツ語は主にテレビで勉強した。大学に入った後、英語の授業に苦労した。それで、大学の英語の先生の下宿に押し掛けたこともあった。リンガフォンを手に入れたり、いろいろ他にも英語の勉強したが、身に着かなかった。しかし、人生も終わりに近づくにつれて、「そうだ、中学校で3年間も勉強したのだ、そこを復習しよう」と思ったのである。復讐してみて、若干あいまいなところがあったが、文法的なことはほぼ正確に覚えていることに気づいた。まだ、しっかり記憶しているところがある。それで、ドイツ語もギリシャ語も勉強したが、やはり英語がいちばん、しっかり自分の中に定着していることに気づいた。 ドイツ語は、高専で2年間だか、3年間だが学んだ。あまり気乗りがしないで勉強しなかったが、ある日、友達の下宿でベートーヴェンの第9シンフォニーの「歓喜に寄す」を聴いた時、非常に感動して、シラーの詩を自分の貧しい語学力で辞書を引きつつ、暗記するほどに覚えたのが、ドイツ語との出会いの初めと言おうか。昨夜、ドイツ語の入門書を読んでみると、一つ大事なところが曖昧であることに気づいた。それでも基本的なところはかなりしっかりしていた。 そして、今、望月光の『超基礎がため古文教室』というものをBOOK・OFF で古本を手に入れて、読んでいる。古文は、だんだん読めるようになっているのだが、古文を読むことを心がけているのは、これは「宣教」に関係している。できるだけ、昔の日本人の心も理解したいと思っているのである。この学びは、日本語で説教している者として、わたしには必要なものと思われるからである。以前は、文語訳聖書は、読みにくいものであったが、今はそうでもない。日本人の心に届く説教をするためには、日本人が昔書いたものを読む必要があるのではないか、と私は考えているのである。それは、現代の日本人の心も案外、古代の日本人の心と違わないものがあることを、私は感じているからである。 わたしは、牧師なので、できれば新約聖書をギリシャ語原文で読みたいのだが、ギリシャ語文法もギリシャ語の単語もあまり身に着いていない。わたしが、ギリシャ語の本を手に入れたのは、19歳の時だったと思うが、これはプラトンの『ソクラテスの弁明』だった。たしか、岩波書店が日本人用のテキストを出版してくれていた。その当時、わたしはギリシャ文学に強く心を動かされていたので、新約聖書を読もうと思って、ギリシャ語を勉強する気になったわけではない。私が手に入れたギリシャ語の入門書は、古典ギリシャ語入門の本だった。しかし、ギリシャ語は、全くの独学だったので、今でも、基本さえ身に着いていない。30歳を越えて、今度は新約聖書を読むために、神学校でギリシャ語を勉強したが、基礎的なところでさえ、しっかりしていない。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-11-13 23:56
| 随筆
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