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わたしが、熊野義孝のものを読み続ける気にならなかったのは、かなり大きなこととして、その文体のせいがあったと思う。学者的な、また傍観者的な何かをわたしは感じてきたのである。それは、誤解かもしれない。
しかし、バルトのように、聖書に全身もって取り組んでいるという印象を熊野義孝から受けたことはない。バルトは、説教者ののために神学した。熊野義孝は説教者のために神学したとは言いにくいのではないか。教会形成のために神学したとは言えるかもしれない とにかく、熊野義孝については、これから学ぶ。彼自身の書いたものを読んで学ぶ。そういう時が来た、と思う。その前に、バルトの「聖書論」を最後まで読み通す必要がある。その上で、バルトの「神の言葉の教説」「神の言葉の神学」を基準として、熊野神学の吟味をする。 (後記) 『終末論と歴史哲学』を半分以上読み進めて、少し、考えをかえつつある。たぶん、彼の代表的な著作と言われている『基督教概論』を二、三度読み直して、心動かされなかったせいが大きいだろう。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-09-08 13:01
| 随筆
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