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また永遠の神も時間なしに生き給うのではない。そうではなく、まさに神の永遠こそ本来的な時間であり、そのようにしてすべての時間の起源であり、その限りまさに神こそ最高に時間的に生き給うのである。しかし神の永遠の中では、すなわち、創造されたのではなく、自分自身を通して存在する時間の中では(そのことは神の神的本質の完全性の一つであるが),当時と今と将来は、つまり昨日と今日と明日は、前後に並んでいるのではなく、互いの中にはいりこみみ合っている。そのようなわけで、神がご自身の生を生きる限り、神はこの神の永遠の中で生き給う。
これは、カール・バルト『教会教義学』の翻訳、「創造論2の3 造られたもの下」(菅円吉・吉永正義訳 新教出版社1974年刊)5頁にある。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-08-11 16:12
| 随筆
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