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さて、どのように説教するか。テキストは新共同訳ではこうである。
イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。 つまりは、わたしの心に何があるかも主はよく知っておられる、ということである。主は、わたしも信用されていなくても不思議ではない。ただ、わたしたちは知っておくべきだろう。イエスはペトロや十二弟子たちの心に何があるかも知っていらしたろう。それでも、ペトロたちをお見捨てにはならなかったのである。それが、わたしたちに慰めになる。 説教の難しいところではあるが、わたしたちの群れに、この個所から主が御声を聞かせて下さるように切に祈る。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-07-06 15:05
| 随筆
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