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一度読んでいたのだが、20年以上前にだった。
今度読み直して、やはりなかなか難解なところがある。かなり疲れているせいもあるだろう。 また、読み直す必要があろう。というのは、大事なことを教えてくれるのではないか、と思われるところがある。 今日は、家庭集会があった。 「時間と永遠」について考え出してしまったのであるが、オスカー・クルマンの『キリストと時』を思い出して、ちょっと読んで、混乱をきたしてしまった。 パウル・ティリヒが「時と永遠」について論じているところも少しばかり読み直した。 「時と永遠」について、私に教えてくれたのはアンセルムスであるが、アンセルムスはギリシャ哲学的に考えたということなのだろうか。 クルマンは、教義学的に考えたということではなく、あくまで、新約聖書の釈義で「時間」について考えているように思われる。聖書には「救済史」が書かれていているというところに目を向けるべきだと言っているようである。確かに、救いの歴史は大事であるが、わたしたちは「永遠なる神」との交わりの中で生きているのではないか。 わたしの中で、大事なことではっきりしていないことがあることをまたしても感じさせられている。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-07-04 22:28
| 随筆
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