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椎名麟三の『邂逅』を読みながら、この小説の登場人物たちのほとんどすべての人が自分の死について考えていることに気づいた。自殺という死も含めてである。
それで、わたしは、ほとんど死のことを考えていない自分に気づいた。わたしは死の事を思うと、いつも神様のことを考えるのである。ほとんど自動的に。それは、もう28歳の時に始まったのだということをあらためて思っている。 死とキリストの裁きの座の前に出なければならないことは、ある時から、わたしにとって、同一のことになったのである。ルターにとってもそうであったに違いない。 しかし、たいていの人にとって、死とはそのようなものではない、ということに私は、この小説を読みながら、気づかされている。罪の赦しは、わたしにとっては死と無関係ではないのであるが、こういうように考えている人間というものは、稀なのではないか、と椎名麟三の小説を読みながら気づかされている。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-06-25 22:12
| 随筆
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