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「日本的エゴイズム批判」などと長ったらしい表現をしても、人の中に入って行かないだろうとは思いつつ、これが的を射た表現になるのではないか、と思って、ちょっと書いてみた。
民族を絶対化するのは一種の宗教である。 以前、筑紫哲也さんが生きていた時、テレビで「帰属意識」について語っていたのを聞いた時、私は違和感をもって、なぜ、そんなことを、大したことではないだろう、と思ったものだが、私の間違いだった。人は、どこかに帰属することを求めている。自分の居場所を求めている。居場所がない人たちが、最後に、右翼団体とかやくざに入るのてはなかろうか。 こんなことを書くのは、雨宮処凛さんの話を聞いたからである。彼女は、自分の帰属するところがなかったので、しばしばリストカットしていたが、なんとかしなければと思ったらしく、まず市民運動の集会に出たらしいのだが、難しい言葉を使われて、入れなかったというのである。そして、今度は右翼の集会に出たら、わかりやすかったそうである。それではまりこんだのであるが、それ以来、リストカットをしなくなったというのである。 ところが、ある日本国憲法をけなす集いがあって、その時、日本国憲法にはなかなかいいことが書いてあると、ある種の感銘を受けて、右翼を離れた、ということらしい。 それで、ナショナリズムの問題の根底にあるのは「帰属意識の問題」があるのだと思われる。どこにも居場所がなくなった人たちが、最後に行くのが民族主義団体だという面があるらしい。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() にほんブログ村 ■
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by kokakusouhachi
| 2016-05-20 10:38
| 随筆
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