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今、内村鑑三著『代表的日本人』の日蓮上人のところを読み返したところ。私は、前から、内村鑑三が代表的日本人に日蓮を選んだのかわからなかった。私には、道元や親鸞の方が身近だったのである。
今回読んでいて、内村鑑三が日蓮をルターと比べ、書いてはいないけれど、自分に比べているのを感じた。内村鑑三も、「不敬事件」というものを経験し、国民から迫害され、また、無教会を言って、教会の人たちから攻撃された、ということがあるのが、日蓮に目を向けさせたのかもしれない。こう書いてあるところがある。 これ以上に独立なる人を、余は我が国人の間に考えることは出来ない。実際、彼は彼の独創と独立とによって、仏教を日本の宗教たらしめたのである。彼の宗派のみ独り純粋に日本的である、しかし他の凡てはその起原を或は印度、或は支那、或は朝鮮の人々に有つたのである。 それゆえ彼は受動的受容的な日本人の間にあつて一つの例外であつた。 争闘性を差し引きし日蓮は、我らの理想的宗教家である。 この日蓮の文章を読みながら、私は、ほとんどまったくと言っていいぐらい日蓮を知らないのだと感じさせられた。おそらく、創価学会の存在によって、日蓮に近づく道を阻まれていたのだろう。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-03-19 16:11
| 随筆
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