最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
よく読んでいても印象に残っていない聖書の個所があるものだが、明日の聖書研究会のために準備していて、ローマの信徒への手紙第15章に次のような言葉があるのに気づかされた。
かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。(4節) 私は、パウロは、今日旧約聖書と呼ばれているところをほとんど暗記していただろうと考えているが、ただ覚えていただけではなく、やはり繰り返し読んでいたのではないか、と思われる。上記の個所などは、パウロが忍耐するため、また慰めを求めて、聖書をひもといていたことを想像させる。わたし自身もそういう時があるから。そして、それは、ただ忍耐だけでなく、慰めにもなり、最後には希望へ向かっていくのである。 わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマの信徒への手紙5章4,5節) ![]() 人気ブログランキングへ ![]() にほんブログ村 ■
[PR]
by kokakusouhachi
| 2016-02-23 16:41
| 随筆
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||