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これは、『教会教義学』の「創造論4の3」にある。吉永正義訳の263頁から303頁まで。今まで、何回か読んできたが、こんなにいろいろなことが書かれているのか、とあらためて驚かされている。バルトは、第一次世界大戦に反対で、その中で『ローマの信徒への手紙』の講解を書きだしたのであるが、第二次世界大戦の時は、ヒトラーのドイツに対してチェコソロバキアは武器をもって立ち向かうべきとロマドカに手紙を書いたことはよく知られている。その後、スイスに帰らざるを得なくなったバルトは、スイスでの兵役義務に服し、国境を守る一兵士として立つことにもなったのである。
そのことを思い出させる論述だった。彼が、この論述を書いた時は、すでに広島・長崎に原爆が投下されており、バルトは原爆についても言及している。1951年の刊行である。 ここで、ボンへッファーの場合のことを思い浮かべてしまうのだが、彼はほとんど絶対的平和主義であり、兵役拒否しようかとしたことがあり、それは極めて真剣なものであった。しかし、彼は結局、兵役についた。しかし、それは国防軍情報部であり、そこにヒトラーに対して抵抗する拠点が形成されており、彼はそれに加わったのである。それは、1944年7月20日のヒトラーに対するクーデターへの参与に向かっていく。この有名な「ワルキューレ作戦」は失敗し、ボンへッファーはヒトラーの没落を見ることなく、絞首刑にされたのだった。 そうしたことを思い出させるような論述だった。 翻って、今日本で生きているわたしたち、キリスト者や教会の立場を思う。わたしたちは、今、置かれている歴史的状況の中で、何が神の御心であるか、真剣に問わなければならないだろう。そして、決断して行かなければならないだろう。無責任はゆるされない。 ![]() 人気ブログランキングへ ![]() にほんブログ村 ■
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by kokakusouhachi
| 2016-02-07 20:34
| 随筆
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