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この問題を、わたしはもう一度根底から問い直している。聖書を読みつつ、神学書も読みながら、考え直している。一つは、今の日本国憲法を大事にするということがあった。これが、かなりの危機に面しているのである。解釈改憲によって、立憲主義が骨抜きにされつつあるのに、多くの国民はそれに無関心であるようだ、ということがわたしを打ちのめしたことであったが、とにかく、この「日本国憲法」は、まだ生きている。ナチスの「全権委任法」のような露骨な法律で憲法が停止されたわけではない。わたしたちは冷静に事態を把握し、態勢を整え直さなければなるまい。パニックになってもなるまい。
沖縄の人たちの「不屈の闘い」に学ぼう。 原発反対の人たちと息長く連帯して行こう。確かに、時代は悪い。悪しき力が勢いづいているように見える。しかし、そうした時がいつまでも続くわけでもない、ということが歴史の教えてくれていることでもある。 人は、いずれ死ぬということがわかっていても、病気になれば直そうとする。そして、体にも自然治癒力があると言われる。そのように「国家」や「社会」が病むことがあっても、また「国家」や「社会」にも自然治癒力のようなものがあるのではないか。しかし、もっと根本的なことを書こう。神が、この世界を存続させようとされている限り、この世界が滅びることはない。そして、聖書によれば、神は、この世界を新しい世界にされようとしている。 イエス・キリストが来られてから、世界には、新しいことが起き始めているのである。 わたしは最近、仏教のある説話に疑問を持ち始めている。それは、仏陀が、人間は死ぬものである、ことを注視するように勧められた、という話である。それは、確かにそうなのだが、そして、中世の修道院でも「死を思え」と言われていたというのであるが、その場合、同じくらい大事なことが、語られていないのではないか。つまり、確かに、死んでいく人たちが毎日出ているのだが、誕生している人たちも毎日いるのである。「死を思え。しかしまた生を思え。」とも言えるのではないか。「死が一切を支配している」ではなく、イエス・キリストが死人の中から復活されて「死の支配」を打ち破られた、ということが決定的なことであるのだが、それ以前に、「死の支配」の背後に「神の支配」がある、というのが本当のところではなかろうか。確かに、「死の支配」があるのだが、「死の支配」は「新しい命の誕生」を阻止できないということが、キリストの復活以前にもあったことなのである。つまり、一人の人間の誕生の背後に神の力があり、同じ一人の人間の死の背後に神の力があるのである。一人の神がいらして、人間たちの誕生も死も司られているのである。だから、「死を思え」だけでなく、「生も思え」であり、生も死も司られる神を思え、ではなかろうか。そして、死人の中からイエス・キリストを復活させられた神を思え、であって、わたしたちはたとえ死ぬことがあろうと、神はわたしたちを死から救い出してくださる、ということが決定的なことではなかろうか。「死」が最後の言葉なら、わたしたちは底なしのニヒリズムに陥る。 そして、ニヒリズムは破壊的な力を持っているために、この「ニヒリズム」を信奉し、「死」を神として拝む、恐れるという偶像崇拝が生まれるのである。それは「神なき知恵」である。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2015-11-24 10:58
| 随筆
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