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愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互に愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。(ヨハネの手紙一4章7~12節)
昨夜、わたしは「神の愛から始めたい」と書いたが、上記のような聖句のことを考えていたのである。また、 わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。(ヨハネの手紙 一 1章5節) 神には闇が全くない、ということはカルヴァンの二重予定説には感じられないことである。たぶん、そこでわたしは二重予定説に違和感を持った。また、ルターの「隠れた神」の教えも、問題があろう。 カール・バルトは自らの神学を「神の言葉の神学」と呼んでもらいたがったが、わたしは、「神の愛の神学」とでも言うべきものを、自分の言葉で表現したいと思っている。これは、別に神学書を書こうということではなく、「神の愛」からすべてを語るべく試みようということである。特に、説教において。この「神の愛の神学」は、かなりバルト・ボンへッファー、そしてブルームハルトの語っていることに近いものになろう。ただ、わたしは自分なりに納得のいった自分の言葉で表現したいと思っているだけで、何か著作をものしようと思っているわけではない。ただ「神は愛である」という聖書の言葉をもとに、また中心にして、わたしのいろいろな点で混乱している「神学」にある程度、整理がつけられればよいと思っている。 このところ、わたしはものを考えるのがひどく億劫になっていた。これは、戦争法案に反対するために論陣を張ったり、激しい感情に突き動かされていたせいもあって、精神的に疲れ果てていたのだろう。それに家族のことがあった。 神経衰弱、激しい精神的疲労というものがあった。しかし、よくよく考えてみるならば、わたしのものの考え方、生き方、神学というものの中にかなりの矛盾するものがあったのではないか、とも思えるのである。本当のところはよくわからないが、わたしはそう考えて、カール・バルトの『教会教義学』の「和解論」を読み進めようと思い、邦訳であと1冊半残すばかりというところまで来た。邦訳で全36巻あるのである。その内あと1冊半。あと1冊半読めば、『教会教義学』の邦訳をすくなくとも3回は通読したことになろう。全部均等に読んでいるわけではなく、7回ほど読んでいるところがある。「和解論」のところだけは、もう一度全体を読み直したいという願いがある。 とにかく、ここまで『教会教義学』を読んできて、わたしは「神は愛である」という御言葉を土台にして、自分の神学を組み立てようという気になっている。わたしの中で、かなり言葉がぶつかりあっていて、消耗していたところがある。できるだけ矛盾は取り除き、整理したいのである。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2015-11-05 09:48
| 随筆
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