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なぜなら、戦争とは人を殺すものだから、戦争しようとする人たちはたいてい人の命を歯牙にもかけていないのだから、その人たちの前に立ちはだかろうとするならば、殺される覚悟をしなければならない時がある。そういう時は必ず来るだろう。
かつて、わたしは人前で、このことを語ったことがあったが、その時、はっきり「これは口に出したくない」と思ったことをよく覚えている。それは、自分の語った言葉のとおりに自分が生きようとしたら、本当に殺されるかもしれない、とその時思ったのである。だから、口にしたくなかった。「あの時、あなたはそう言ったではありませんか」と誰かに言われるかもしれないと思ったからである。しかし、誰が言わなくても、わたし自身はそのことを覚えているから、わたしは逃げようがない。その言葉を覚えている私自身がわたしを責めるだろう。 わたしは、逮捕されたり、迫害されたり、殺されたりする、そういう覚悟をしなければ「平和」を語れない時代に、今まさに入ろうとしていると考えている。 カトリック司教団は、平和についてのメッセージを既に出した。日本基督教団は、沈黙したままである。これからも沈黙し続けるだろう。もし、日本基督教団の現在の指導者たちが、主の言葉「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」という御言葉に忠実であったなら、既に教団の社会員会は声明の一つも出していたろう。それができないのである。迫害を受けることがこわいからである。 だから、私のような一介の名もない牧師が、私的なブログで、こんなことを書かざるを得ないのである。もし、日本基督教団が主に忠実であって、たたかうべきものと戦っていれば、わたしがこんな私的なブログでこんなことを書かずにすむのである。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2015-03-31 09:45
| 随筆
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