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新約聖書 ローマの信徒への手紙9章20節。
この言葉を今日、はっきり意識した。自分の新共同訳聖書を開いてみると、ちゃんと赤鉛筆でぬりつぶすほどしるしづけているのである。それでも、わたしは今日、昔のことを思い出していた。文字通り「神に口答え」していた日々のことを思い出していた。それは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のイヴァン・カラマーゾフに影響されていたのである。同時に、わたしはゾシマ長老にも影響を受け始めていたのだったが。神を信じることと、神に口答えすることが同時的に進行し、それがわたしが神学することになっていったのである。 当時は「宣教」「伝道」するために神学していたのではなく、神を信じるか信じないかが問題で神学の道に入ってしまったと思う。それは、創世記第3章をどのように読むか、という仕方で始まったのである。 今日バルトによって、その出発点が悪い、イエス・キリストから始めなければ間違う、と言われているわけである。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2015-03-19 10:29
| 随筆
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