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もちろん、自分が残していく家族のことを思って祈ったろう。妻、二人の娘のことを。
そして、シリアの人たちのことを思って祈っただろう。彼の遺言とも言うべき言葉に、「わたしの責任」で行きます。何かあったとしても、シリアの人たちの責任でありません、という意味のことが言われている。(この発言が、また利用されて「責任」という言葉が「自己責任」論者たちに使われている。) 彼は、自分の死によって、シリアの人たちがさらに苦境に立つことがないように祈ったろう。彼は、子どもたち(戦地の子どもたち)のことも祈ったろう。彼は、戦地の子どもたちのためにも働いていたから。そして、まさに自分の子どもたちも、戦地の子どもたちとある意味でか同じ立場に立たされたのだったから。戦争のせいで、親を失った戦地の子どもたちを彼はたくさん知っていたはずである。 そして、ここからは、ある程度、不確かになるが、戦争のない世界がくるように祈ったのではなかろうか。そして、自分の国、日本が戦争をする国にならないように祈っていたのではなかろうか。同じキリスト者として、そう考える。キリスト者の中にも、戦争に肯定的な人たちがいることをわたしは知っている。わたしの属する、そして、後藤健二さんが属していた日本基督教団にも、戦争に肯定的な人たちはいるから。しかし、後藤健二さんは、戦争には決して肯定的ではなかったことは、多くの読者にはわかっていることだろうと思う。 わたしは、後藤さんの最後を思いながら、長年読み続けて来たボンへッファーのことも思い浮かべていた。彼は、絞首刑になる前、祈っていたことが、その目撃者によって伝えられている。ボンへッファーが、何を祈っていたのか、今度はじめて考えた。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2015-02-03 10:07
| 随筆
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