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子ブルームハルトの一つの説教を紹介しておきたい。このところ、この説教をよく思いだすのである。『子ブルームハルトの生涯と使信』井上良雄訳、2001年、新教出版社刊。まだ、手に入ると思う。112頁から114頁。その当時、本体2600円。
主キリスト 本当に主は復活して……。(ルカ24.34) 十字架につけられ復活された方は、主である。そのことを、私たちは信じなければならない。なぜかといえば、キリストが死んで復活されたということを受け入れても、それだけでは、多くのものを得たことにはならないからだ。そのようなことは多くの人びとが信じていて、しかも地獄に行く。そのような信仰は、私が自分自身に関してイエスを主としない場合には、私にとっては何の役にも立たない。キリストが復活されたことを少しも信じられない人びとが何程かいても、それはまだ最悪の事態ではない。彼らはその場合に、復活を少なくとも大きな出来事と考えているのであって、ただそれは、それを信じるには、その人にとって大きすぎる出来事なのだ。しかし、他の人びとが、復活を信じると言いつつ、それについて何も問うことをせず、彼を主としない場合には、それは極めて悲しむべき事態だ。 私たちがイエス・キリストの復活について聞いたならば、それは私たちを震撼させるはずである。 「どうしたって。何だって。誰かが死の中から甦ったって。それは誰だ。そんなことが本当に起こったとしたら、全世界が変わらなければならない」。--この出来事によって、そのように震撼されない者は、十字架につけられて復活するということがどういうことであるかについて、まだ何も分かっていないのだ。この出来事は、人の心の奥深い所まで侵入して、私たちは、まったく新しい生活態度を取るようになり、その復活された方を自分の主とし、世界に関しても、彼を主として受け入れることができるようでなければならない。 今や私たちは、主イエスがすべてのものの所有者だということに基づいて、すべてのものを見なければならない。それは、なぜだろうか。それは、彼が復活されたからである。それゆえに、すべてのものが彼の前にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と告白しなければならない。そして天上にも地上にも地下にも、彼と並んで何ものかであるような被造物があってはならない。このことに基づいて、私たちは、生きまた戦っている。 したがって、自らキリスト者と称し得るのは、イエス・キリストの復活の感銘の中で、そして復活された方の御名において、世界全体を「押収」する人びとだけである。イエス・キリストが支配者となられるまでの時間は短いということを、知っている人びとだけである。キリストが死んで復活されたということだけを受け入れる人びとは、まだキリスト者ではなくて、ある種の見解を持っている人びとに過ぎない。しかしキリスト者というのは、戦闘者であり、イエス・キリストの復活に基づいて今や世界は神に服従させられるということを読み取り、自分たちはそれに加勢しなければならないということを読み取る人のことである。私たちは、キリストの共同体として、主なるイエス・キリストの偉大な治世に向けて、絶えざる戦いの中に活きなければならない。そのことが私たちを、キリスト者とするのだ。 (1883年8月) 前から、わたしはブルームハルトのような説教をしたいと願っていた。 にほんブログ村 人気ブログランキングへ
by kokakusouhachi
| 2014-10-11 21:08
| 随筆
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