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たとえ、キリスト教が国教になるチャンスがあるとしても、キリスト教も国教になるべきではない。
日本国憲法の「政教分離の原則」というのは、日本国は国教を認めないということが根底にある。 国教になった宗教は、確実に堕落する。江戸時代、日本に住む者は皆、いずれかの宗門に属さなければならなかった。この宗門人別帳によって、切支丹がいないことが確認されたのであって、仏教の各宗派は、切支丹迫害に加担した。徳川幕府は、仏教を国教とし、天皇家ですら、菩提寺を持っていたのである。つまり天皇家の人たちも仏教徒だったのである。 徳川幕府を倒した明治政府は、仏教を国教の地位からけり落とした。しかし、国民を納めるには、国教が必要であると考えたのは、徳川幕府と同じで、明治政府は、自前で、国教をつくろうとして、ある程度は成功した。それは皇室神道を中核に置き、靖国神社を創設し、各地の神社を上から組織して、国家神道というものをつくったのである。 憲法第20条は、この国家神道の復活をゆるさないという役割を持っている。 国家神道が、どんな問題を起こしたか、ここでは書くまい。 むしろ、キリスト教のあやまちを書いておこう。キリスト教はローマ帝国の国教になった。 そして、キリスト教が国教になっていなかったら、悪名高い「十字軍」など起きなかったろう。 「信教の自由」は、国教があるところでは保障されない。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2014-10-06 12:52
| 随筆
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